※この物語は、TOMS田中会計グループにおける業務のモデルケースを想定して作成されたフィクションです。
【Section4】
幕を開ける、独自の現地調査
青年の名前は高橋といった。
彼は社会人になって税理士試験に合格し、首都圏で3年ほど会計事務所に勤務した経験があった。その間に大学時代に知り合って結婚した妻との間に子供を授かり、子育てしやすい環境を求め、妻の実家がある氷見へと居を移してきた。
移住を考え始めたときに、ます懸念したのは“仕事”だったが、インターネットで検索し、このTOMS田中会計グループの存在を知った。
高橋が首都圏で勤務した会計事務所では、クライアント対応することもなく、メインは社内業務。税理士登録に必要とされる2年間の実務経験を積むことができたのは良かったが、税務調査対応などを担当する機会は全く与えられなかった。
しかし、地方にやってきて、こうして新たなキャリアを積むチャンスを掴んでいる。そのことに、高橋は素直に胸を高鳴らせていた。
喜びと不安を半分ずつ乗せて、新人税理士はヒラタオートへと車を走らせた。
ピンポーン。
ヒラタオートに到着した高橋は少し緊張した面持ちで、出迎えてくれた平田社長と奥さんに、キビキビと名刺を差し出しながら挨拶をした。
はじめまして。税理士の高橋と申します。本日は、どうぞよろしくお願いいたします!
どうも、ようこそ。田中さんから話は聞いとりますよ。
首都圏の方から氷見へ来られたいうことで。向こうと比べて、不便ありませんか?
いえいえ、魚は美味しいし、家は広いし。
それに、渋滞もなくて車での移動も苦になりません。本当に住みやすいです。
そのように、なごやかながらも簡潔に挨拶を済ませると、「では、さっそく」と、高橋は会計資料の調査に入った。
一室を借りて、税務署が指摘してきた点を、資料の上で自分なりに照合・検討していく。
総勘定元帳や現金預金出納帳、売掛・買掛台帳等の帳簿関係資料はもちろん、領収書や請求書、人件費関係資料、契約書関係資料などなど、見るべき資料は山ほどある。
高橋が調査に当たっている間、社長と奥さんにもそれぞれの仕事に戻ってもらっていたのだが、やはり気になるようで、奥さんなどは時折、高橋の様子をちらと眺めにきたりした。
そうして、ボールペンで書き並べられた帳簿上の数字の連なりを、眉間にしわを寄せながら夢中でチェックしている若い税理士の姿を目にすると、つい笑いながら、次のように声を掛けたりするのだった。
あたしの字、達者すぎて、若い人には読みにくいかもしれんね。あはは〜。
高橋は奥さんの方に顔を向き直し、「はははっ」と笑い返しながらも、横目で帳面に付箋をひとつ、ぺたりと貼り付けた。
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しばらく時が過ぎて、陽もそろそろと傾きかけてきたころ。高橋は今日の調査にひと段落をつけて、平田社長と奥さんに次のように告げた。
税務署側から指摘された懸念事項について、例えば、この棚卸資産の計上漏れの件や、雑収入、ここでは自動車整備の際に発生したスクラップの売却代ですね、その計上漏れなど、たしかに指摘通りといった印象を覚えました。
とりあえず、今日のところは、一旦、持ち帰らせていただきたいと思います。
社長と奥さんは、「はあ」と、さも不思議そうに困惑顔をした。
税務署の人にも、同じようなこと言われたわ〜。でも、どうして計上漏れなんて起こったのかしら?
お前、ぼーっとしとるから。
あら、ずいぶん! あたしは、あんたに言われた通りに、ひとつひとつ帳面つけとるだけですよ、そらもう律儀に。
ま、まあまあ…、とりあえず本日の調査はここまでにさせていただいて…、また後日、連絡を差し上げますので。
高橋は事務所に戻るとすぐに所長室へ向かい、田中に今日の調査内容を報告した。田中は高橋の報告に耳を傾け、少し黙したのち、おもむろに口を開いた。
高橋君、近いうちにもう一度、平田さんのところに行こうか。
次は私も同行しよう。
所長も同行? 自分の調査が不十分だったのだろうか?
そう感じて、高橋は少し怪訝な顔をしたが、所長から学べる良い機会だとすぐに思い直した。
何といっても、まだまだ調査は始まったばかりなのだ。
【Section5】
一度きりの”その場その時”を、真剣に
晴れ渡ったある日の午後。
ピンポーン。高橋はヒラタオートの事務所の呼び鈴を、ふたたび鳴らす。今日は、所長の田中も一緒だ。
やあ、どうも高橋君。あ、これはこれは…、田中さんもご一緒で。
はい、今日は私も平田さんの職場を見せていただこうと思いまして。よろしいですか?
ようこそようこそ、もちろんです! とっ散らかってますが、お入りください。今から、帳簿だとかばさっと持ってまいりますんで、どうぞどうぞ、部屋でお掛けになって。おい、お前、アレお出しして、アレ。ええと、お茶や、お茶!
平田社長がそう言って応接室へと案内しようとし、奥さんが「はいよ」と給湯室に向かって踵を返すのを、田中はやわらかく制した。
奥さん、ありがとうございます。でも、お茶の方はどうかお構いなく。平田さん、帳簿もですが、今日は少し現場も見せていただきたいんです。
自動車整備の作業場やお店の駐車場、それに経理実務が行われる事務スペース、などですね。
はあ、現場、ですか?
普段通りの職場のようすを見せてもらえれば良いんです。
拝見しながら、色々お話を伺うとは思いますが。
ははあ、なるほど。わかりました。
では、作業場からご案内したらええですかね。
はい、お手数ですが、よろしくお願いします。
そうして、田中と高橋は各部署を案内されながら、平田社長と奥さんの口から業務内容について、
そして、その業務をどう管理しているかについて、具体的に説明を受けていった。
5月だというのに天気が良いからか、作業場はむわんと蒸し暑い。整備車両を前に、年配の職員が若手にかいがいしく指導している。指導する方、される方、その両者とも額に玉の汗を浮かべている。
彼らは平田社長と奥さんの姿を認めると、作業の手を止めてふたつみっつ言葉を交わし、からっと笑い合う。
お店の駐車場も見せてもらう。
決して“広大な”とは形容しがたい露天の駐車場で、そこには十数台の車が停められていた。在庫を数えるのは奥さんの役目で、しっかりと指差しながら、いち、に、さん…と丁寧に数えている、とのことだ。
このように実際に職場を見て回り、そこで働く人たちの声に触れることで、税務署が指摘した会計資料上の問題点が、現場でのオペレーション上の課題点と徐々に結びついてきた。
高橋は入社当初、田中に言われたことを思い出していた。
─クライアント先であれ、自社内であれ、対面している“その人”との時間は、その瞬間限りのもの。一度きりの”その場その時”は、真剣に、大切に扱わなければいけないよ。
田中は、その言葉通り“今、この時を真剣”に、目の前の人と現場に対して誠実に心を傾けている。そして、高橋はその背中越しに、はじめて会計資料の裏側にある、“生々しい現場”というものを強く意識した。